ピアノの練習と武術の共通点

ひょんなことがきっかけで、システマという格闘技の本を読んだら、
「ゆっくり練習する」ということが書いてありました。

格闘技をゆっくり練習する!?
びっくりです。
 
そして「リラックスが大切」

え、格闘技でリラックス?

創始者のリャブコさんのパンチは敵すら癒す、と言われているそうで、そうするともう戦うこともいらなくなる?
うーむ、深すぎて想像がつきません!




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でもよく読んでいくと、とても納得できるものでした。

リラックスすることで周りの情報もよくとらえることができるし、とっさに動く必要があっても筋肉がリラックスしていればすばやく的確に動くことができる、ということなのですね。

興奮して頭に血がのぼったままエイヤっとやっても、火事場の馬鹿力としては良いかもしれないけど、いつもそれ、というわけにはいかないですもんね。



そしてゆっくり練習についても、とても分かりやすく書いてありました。

身体が動きを学習するのには、ゆっくり動いたほうが、脳にインプットされる情報が細かいものになるので、情報量もふえるし質もよくなるんだそうです。

一番わかりやすいな、と思ったのはパラパラ漫画のたとえで、
一つの動作を数枚のパラパラ漫画であらわすとぎくしゃくした動きだけれども、ゆっくり練習するのはこのコマの枚数をふやすようなもので、それによってアニメーションのようななめらかな動きにしていくことができる、というところ。


少し引用しますね。

「脳へと送られる情報は、身体を意識しながらゆっくりと動くことで、増加します。逆に素早く動いてしまうと、脳に送られる情報は著しく減少します。(中略)

パラパラ漫画程度では動きがギクシャクしてしまいますが、一秒あたりのコマ数が増えれば増えるほど、どんどん動きは滑らかになっていきます。ゆっくり動くのは、この一秒あたりのコマ数を増やす作業に似ています。動作の過程で自分がどのような姿勢になっているのかをつぶさに認識し、修正していくことで、姿勢の連続としての動き全体が改善されていくのです。」
(システマ・ボディワーク/北川貴英著 p.142、143)



なるほど。
リラックスといい、ゆっくり練習する、といいピアノ奏法の本か!とつっこみたくなるほどの納得感。

これを読むと、ゆっくり練習するときになんとなく感じるイライラ感、焦燥感は全然必要ないのだな、とわかります。

一つの動き→次の動き、ではなく、一つの動きがだんだん変化して次の動きにつながっていく、
一つの音→次の音、ではなく、一つの音が鳴りはじめて鳴りつづけて次の音につづいていく、
そういう途中のところを、よく味わったり観察したりしてゆったりすすめばいい。

しかも、脳にインプットされる情報がそのほうが多いんですよ!
ちょっとゆっくり、じゃなくて、ドーンとゆっくりでコマ数をたくさん増やしたくなりませんか?



そして私がさらにノックアウトされたのは、その続き。

技の上達を望むならゆっくり練習は近道だけど、ゆっくり練習には、
「上達につながる実感が薄く、なおかつカタルシスが得にくいという側面があります。」

そして、トレーニングの目的も上達だけとはかぎらず人それぞれなので、
「すべての人がそう練習しなくてはいけないわけではありません」


ほんとにその通り!
ゆっくり練習って達成感に欠けるんです。
だからやりにくい。

そしてそれをわかっていて押し付けないなんて、なんて優しい!
ほんとうにすべての人が上達にむけて合理的な練習をしないといけないわけじゃないし、
人それぞれの楽しみ方がありますよね。

ゆっくり練習もリラックスも、私の頭の中では、武術の練習じゃなくてすっかりピアノを弾くことに変換されたのでした。





システマ、いろいろ興味深くて、記事を書いてみたものの、面白さを十分お伝えできたとはとうてい思えないので、気になる方はぜひ読んでみてください!
システマについてはここで紹介した、

システマ・ボディワーク
自然で快適に動き、「本来の力」を最大に発揮する!
北川貴英著/BABジャパン

その他たくさん出版されています。









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tag : システマ リラックス ピアノ ゆっくり練習

「○○しないように練習する」の罠

「○○しないように練習する」
「○○にならないように弾く」
っていう罠があるなあ、と思います。

「走らないように(テンポが前のめりにならないように)弾く」
とか、
「すべらないように(コントロールを失わないように)弾く」
とか、
「おそくならないように気を付ける」
とか。。。

あ、一番は
「まちがわないようにする」
「止まらないで弾けるように練習する」
ですかねー。

いやあ、書いてて胸がくるしくなってきました。


まあピアノに限らず実生活でも
「怒られないよう○○する」
とか
「文句を言われないように○○する」
とかってのありますよね。
あらいやだ。(笑)


あ、でも人生問題はここで論じるには大きすぎるので置いといて。


どこかで読んだのですが、脳は、
「○○をするな」
というコマンドには従えないのだそうです。

「ピンクの像を思い浮かべないでください」
と言われたら、どうしてもピンクの像を思い浮かべてしまう、
という、あれです。


なので
「ここ走っちゃうんだよな」
とか
「リズムがちゃんとしてないかも」
なんて時に、つい、

「走らないように!」
とか
「リズムがくずれないように!」
とかやってしまいがちですが、
せっかく問題点に気付いたのですから、まずは肯定的改善コマンドを出すようにしましょう。

「リズミカルに」
「同じ速さで」
(リズムを手拍子などで確認してから)「こんなリズムで」

なんてどうでしょうか。

「まちがわないように」
「止まらないように」
の代わりは
「すらすら弾けるように練習する」
とか
「この曲の音をだんだんに覚えてそこに楽に指が行くようにする」
とかってのはどうでしょう。



それから、言葉の選び方もそうですが、全体的な態度そのものが、守りの罠にはいってしまう、ということもあるような気がします。

練習を重ねるうちに問題点や解決したい課題が見つかるので、それを改善することにフォーカスしすぎてしまい、
「そもそもどんな風に弾きたいと思っていたのか」
「どういうイメージを表現したいと思ってたのか」
を忘れて練習に邁進してしまう、というような。

まじめで向上心あるからこそ、の罠ですが、
(特にレッスンで問題点を指摘されたり、録音を聞いて「えーワタシこんなことやってたの!ショック!」的な問題が発覚した時なんか笑)、
練習をかさねてだんだん弾けるようになってきた時こそ、

そもそもその曲を弾こうと思った時のワクワク感や、譜読みをしていくうちに
「ここのこの展開が好き!」
とか
「ここを○○な風に弾きたい!」
と思った気持ちを思いだして、

そしてさらに、今のイキのいいぴちぴちの気持ちを大切にして、やりたいものです。   

それを思い出しただけで、びっくりするほど生き生きした演奏になってびっくりする!
ということがこのところレッスンで続けて起こり、一人の生徒さんは半信半疑で、
「そんなにちがいますか?」
と聞かれたのですが、
「まったく違います!」
と即答、断言できるほどでした。

「新鮮な気持ち」って言葉がありますが、新鮮な気持ちって本当に生ものだから大切にしないとね。
(自分にもいいきかせてます)


えーっと、でも正直「罠にはまらない」(←これも○○しないコマンドだわ、わはは)というのも無理なので、
罠にはまったら出る、出たりはまったりを繰り返してだんだんに自分に合うやりかたがわかっていく、というのでいいんだと思うんです。(これも自分に言ってます)













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クスノキが好き

近所の神社に樹齢何百年?の大木があって、その下を通るといい香りがして、
「なんの木だろう?」
と思ったら、クスノキだった。

もこもこ、ごつごつした枝ぶりで、でも葉っぱは意外に繊細でちょっとひらひらっとしていてかわいらしい。
いい香りがするのは、小さい枝がたくさん落ちているからで、それが踏まれて折れていい香りがするのです。

昨日のふぞろいなパッセージ(こちら)で、木の話をしたので、ここに大好きなクスノキの写真を。

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これもある神社の境内にありました。
堂々としていて、パッセージっていうより大フーガっていう風情ですね。

上のほうに鳥の巣らしきものも見えます。






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基礎って

基礎ってそういうものかもしれない、と思った話のつづきです。

(前のお話こちら→料理の本

和食の味付けの基本をわかりやすく解説した本のおかげで、やる気なし味見なしで安定した味のおかずを作ることができて、基本のありがたみを、人生初めて知ったわたし。

人生初めてはちょっと大げさかな。でもこんなに心底「ありがたい!」と思ったのは初めて。


で、ふと頭にうかんだのが、
「基本すごい!もっと早くやればよかった。ピアノも基本を早くしっかりおさえるのが大切よね」
というフレーズ。



しかーしここで何か強烈な違和感が。。。


料理をはじめたウン十年前に、
「しょうゆとみりんと出汁の割合は1:1:8、味噌汁の味噌の割合は・・・」
と誰かに教えてもらったとしたらよろこんだだろうか?

見よう見まねでドキドキしながら調味料いれて味見するのが楽しかったんとちゃう?
なんでもテキトーに入れていい、っていうのが自分で作る醍醐味だったのでは?

一人暮らしのいちばん最初に自分のために一人で作ったのはたしかカレー、それから大根の煮物、その次がおでん、だったと思います。

学生時代は近所のインド雑貨屋さんの女主人がだしてた手書きの新聞のレシピをまねして、なんちゃってエスニック料理作ったり、下宿仲間とあるものでなにかへんてこりんなもの作って食べたり。



そういえば基礎なしでじゅうぶんに楽しんでました。

そのころの私に
「基本を知っていると便利だから教えてあげる」
、って言ってもいうこと聞かなかったと思う。

「何、ひじきの煮物?ひじきはさっとゆでてサラダで食べるのが好きなの。
調味料?そんなの適当にいれるから大丈夫」
、と。



いま「基本」がありがたいのは、今までさんざん勝手をやった挙句の話。 (しかも今までのやり方だけでは解決できない問題が起こって、助けて!という状況だったわけだし)

それが良かったからと言って、初心者に(料理でもピアノでも)「便利な基本」を押し付けるのは、余計なお世話、ですよね。
自分はさんざん好き勝手なことやってきて、今になってそういうものの良さに目覚めたからって人にそれを押し付けるの、どうよ?



危ない危ない・・・。
自分は十分楽しんだくせにね。ひとの試行錯誤の経験、発見のよろこびを奪わないように気をつけよう。



もちろん早くから基礎、基本をちゃんとやる機会に恵まれる人もいて、それはそれでいいことだし、いやいやでなく、できたらもっといい。

ただもし「基礎大切だからやっといたほうがいい」という理由のみでやっていたとすると、どこかで統合する必要はでてくるんじゃないかなと思う。

なんでもきちっと美味しく手早く作れても、「私の本当に作りたいものはどんなもの?私が美味しい!と思う味は何?」というような本質的な問いとはどっちみちいつかかかわらなければいけなくなる。



少し前に、大事な試験の準備中のうら若い音楽家のたまごさんと話していたら、
「先生の言うこときいてやってて自分の音楽がないんです」
、と悩んでいました。

もともと音楽に情熱があってやりたいことをどんどんやるたまごさんに見受けられました。
ただ試験まえだし先生の言うこと真剣にとらえて練習して、私ってどんなのがいいと思ってるんだ?というのを見失っちゃったのでは、と思いました。


基礎練習とか便利な方法論とかもいいけど、自分が何を素敵と思うか、どんな味つけを美味しいと思うか、を日々丁寧にあじわっていく、というのはやっぱり本質。


それを助けるのが基礎、基本。


だから、私みたいにあまのじゃくである時基礎の有用性にめざめるのもよし、たまごさんみたいに一生懸命基本をやって、ある時本質にじっくり向き合うのもありだなあと思うのです。



それもふくめて基礎、基本って「そういうものかもしれない」なあ。





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料理の本

今日はちょっと脱線して最近買った料理の本のお話を。。

料理は決してきらいじゃないんです。
でも正式に習ったことはないし、味付けは自己流でやってました。
こんな風な味にしたい、っていうのを思い浮かべつつ調味料を入れて、味見してみて、また調整する、っていうふうに。

どこかで食べたおいしいものを再現、とかだれかのレシピを参考にして、とか有るものでオリジナル料理を、とかけっこう楽しくやってたんですよ。

でも自分のため、とか気分が乗ってるとき、はこれで十分やってたんですが、「やる気も食欲もないんだけど、だれかのために料理をしなければならない」っていうときありますよね。いろいろな事情でこれが増えてきました。

そうするとこんな感じ↓

「やる気がない」→「やる気ふりしぼって味付け」→「どっと疲れる」

または

「やる気がない」→「やる気のないままてきとうになにか調味料入れる」→「まずくて絶望」

やる気のないときって味覚も鈍感になってるのか、それとも手加減がおかしくなってるのか。
そもそも冷蔵庫の内外の材料そのものからしてあやしかったり。
しなびた野菜、冷凍庫でみつけた肉(いつのだったっけ?)とかね?

いやまあそれはともかくとして、そういう時に「これさえあれば大丈夫」的な味付けの基本、みたいなものがあればいいなあ、と思いました。

うちの母はもと栄養士なので、「お味噌汁の味噌ってだいたいどれくらいいれたらいいもの?」
なんて私が聞くと
「汁物の塩のパーセンテージは○パーセント。」
とかなんとか。
「はあ?」
ですよ、まったく。
という母はぜったい目分量で入れてます。

結局1人分の味噌汁つくるのに味噌はスプーンにどれくらい?
みたいなことが知りたいのにね。目分量で入れてる人には教えられない。

自分で実験して調べればいい?

はい、正論ですけど、やる気のない時の対策として、今現在やる気のない人間が質問してるんですよ。
そこのところをよろしくご理解いただかないと。
私だって今度やる気がでたら、だし汁バケツいっぱい用意して味噌を何パーセント入れた時がいちばんおいしいか実験してみたいとは思っているんですよ。

でもね、味噌汁だけじゃなくて、おすましも、煮物も、すし飯のお酢の分量も、うどんやそばのだし汁も、そういうの全部知りたいの。
それを全部実験するのはちょっと無理でしょう?

そして料理の本のレシピみてもひとつひとつ微妙な分量で覚えきれない。

家庭科の本に汁物の塩分は何パーセントとかそういうの出てたような気がするけど、そういうところ調べたらいいのかしら・・・と思って、

「まてよ!だれかがそういう本を出してるかもしれない!」
と思いつきました。

そして本屋さんに直行。
そしたら平積みでこそないものの、とっても見えやすいところにこの本がどーん!






村田さん

なんと15年前に出版されていて私の買ったのは第46刷ですって。ロングセラーじゃないですか。平積みにする必要すらないってことですね。





この本、ほんとう~に素敵。
私がさっき書いたの全部、その上どんぶりものの出し汁、ゆず味噌や酢味噌などの調合、豆ごはんの塩加減まで!
料理はテッパンの基本メニューばっかり。

著者は料亭「菊乃井」の村田さん。
プロの料理人さんだからか、そして日本料理を日本だけでなく海外にも紹介するお仕事をされているからか、わかりやすい。
そして語り口もやさしい。
はじめのところ、ちょっとだけ引用してみますね。



"肉じゃが、きんぴら、魚の煮つけ。(中略)いざつくってみると、なかなか味が決まらない。しょうゆを足したり、砂糖を足したり、ひねくり回してるうちに、「基本の味」から離れて行ってしまうんですね。"


そうそう、そうなんですよ。まるで私のために書いてくれはったんかいな、と思うくらいそのまんまです。(いや私だってね、調子のいい時は勘でぴたっと味が決まるんですよ、ほんとうですよ、そうじゃないときがひどいってだけなんですよ、ブツブツ・・・)
以下引用続きます。



"シンプルなおかずなら、味付けも思いきってシンプルにしてみてください。しょうゆとみりんが1:1 。(中略)
まずはこの二つを守って、次の料理をつくってみてください。不思議なくらい味がピタリと決まりますよ。これが和食の「基本の味」。
ご飯がどんどんすすむ味です。"



いや、ほんとに。
これで作った肉じゃが、高野豆腐の煮物、豆ごはん、ひじきの煮物、おでん、田楽味噌、どれもきちんと普通においしい。
ここに書いてある1:1のように「覚えやすくていつでも頼りになるような簡単な割合」がのっていて、その割合で調味料を入れるだけ。何度も味見したり、なし。

私が求めていた以上に簡単シンプルです。
こういうのっておばあちゃんやお母さんから受け継ぐ味かもしれないけど、母よ、ごめん。私は村田さんから習います。

この本すごくいいので和食の味付けに悩む方にはおすすめです。
味も甘すぎず、しょっぱすぎず、毎日飽きずに食べられる味だと思います。

私はこの本を買って以来、ロクに味見もしないで美味しい和食が食べられる幸せ、たいして心をこめずとも人にも安定した味のごはんを提供できる心の平和を得ました。あはは言葉が悪いですよね。

でね、「基礎」っていうのはそういうものかな、っとちらっと思ったわけなんです。

おお、話が続きそうな予感。
でもつづきは又の機会に。




あ、味噌と出し汁の割合はだいたい(味噌にもよる)1:15だそうですよ!








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