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「よく聞くこと」が難しい理由って

自分が下手でやんなっちゃうなーって時。
このブログ、書き出しこういうの多いですね(笑)。
楽しくピアノを弾いている人もいるんだろうな、とは思うんですけど。

性格もある(かな?)し、その事柄との関係性もあるんでしょうね。
例えば私は、ピアノは下手だと「やんなっちゃうなー」と思うタイプ。

でも他のこと、例えば編みものは下手でも全然かまわない。
以前は、編み物も編み目を必死できれいにそろえて、編み間違いに気づいたら即、間違えたところまでほどく、ということをやっていました。
いや、いきおい余ってそれ以上ほどくことも。
そんなこと何回もやって毛糸もボロボロになるし、イライラするし、編み物すること自体が面倒くさくなっていました。
でも友人が、
「ちょっと見せて。間違ったからと言ってすぐにほどかずに、よく見る!
うーん、よし、ここまでほどく。こっちはこのままで大丈夫。
大勢に影響ないし、編み上がったらわかんなくなるくらいのことよ。」
などと教えてくれて、そして、
「手編みというのは編み目がふぞろいだからあったかい」
というのも聞いて、変わりました。
自分が楽しむためにやっているんだから好きに自由にやればいいのよね!
と思えるようになって、楽しめるようになったし、無理せず、自分がリラックスできるペースで作ることも出来るようになった。
そうすると、それなりに素敵なもの(愛着のある、自分にとってはカワイイもの)が出来上がっていく。
いくつか作るうちに、だんだん慣れて上手になるし、だれかに
「すてきね、手編み?」
なんて言ってもらえて嬉しかったり。

ピアノともそういうつき合いをしている人はいるだろうな、と思うし、そういうのっていいな、と思います。
でもそういう人は「ピアノ大好き!」っていうようなブログを読んでるのではないかしら。ピアノきらい!じゃなくてね(笑)。

そこで、「ピアノ弾いている時間がリラックスできて幸せ!」
って風になかなか(または時々)感じられず、
「ぎゃー、下手で落ち込む!なんとかしたい(涙)」
って場合のことを少し考えてみようと思うんですが。。。

「ぎゃーやだ!なんか下手!」
と思う時って、何が具体的にどう下手なのか、わかってないことが多いような気がします。弾き終わって、
「どうですか?」
って聞かれて
「全然だめ!○×▽@*αθ◆~」と全否定になっちゃうことが多い。
そこで
「具体的にどこが気に入りませんか?逆にうまくいった所はありませんか?」
と聞かれても、答えられない。
なんか、とにかくダメな感じ。

ピアノ弾くって
「これやっといたから完璧!大丈夫!」
ってこと(手順とかマニュアルとか)がそもそもあるわけじゃない。
まあもちろん色々やったほうがいいことはあります。(正しい音、リズム、フレージング、音量のバランス、etc.)
でも全部正しくやったから良い演奏になるかというと、そんなことはない
(残念!まあ全部正確にやりたいならそもそも人口知能に任せたほうがいいんじゃないでしょうか)。
やれることはそれなりにやったつもりだけど、
「ぎゃー下手!」
なわけでね。

「ぎゃー」の次に対応する道すじとして、2つあるかな、と私は思うんですが、それは、
①「こんな感じでやりたいの!」って気合とノリでなんとかがんばる!
って方法。もう1つは、
②今何をやっているか聞く、というところからはじめる。

で、①と②どっちもいいと思うんです。どっちも必要だと思います。
①は「こんな感じ!」ってイメージがあるってところがすばらしいし、それでいけるならいい。
楽しくてやりがいもあるし。
ただそれだけだと、ある程度から先に行けないってことになると思うんです。

それで②の、「今何をやってるか聞く」ことをしたいんですが、「よく聞く」ってなかなか難しくないですか?
「よく聞く」って、普通に「聞く」のと何か違うことするんですか?って思いませんか?
普通に「聞く」ときはそのままで、「よく聞く」時は耳たぶの角度を変える、とか眉間にナナメ45度のシワをよせる、とかね。そういう違うやり方があれば良いんですけどね。
残念ながらそういうのはない。

例えばアレクサンダーテクニークでは頭と首の関係を重視していて、頭と首の境目のあたりにちょっとした負荷がかかってると(気づかなくてもほんのちょっと緊張してると)、神経だか何だか色々の具合がおかしくなって色んなところに影響がでる。つまり聞く能力も制限される、っていうような(大変不正確ですみません)ことを言ったりするんですが、私ははじめ、
「エー、そんなちょっとしたことくらいで聞こえなくならんよ!」
と思ってました。
今ではそんなちょっとしたことで全然ちがう、と思っています。
そういう、体から入っていって、「聞く」(とか見るとかその他いろいろ)の質がよくなる、ということもいい方法だな、と思います。
耳たぶの角度を変えるわけじゃないけど、体からアプローチできる方法ですね。興味ある人はおすすめです。
でもそれはそれで今はちょっと置いておいて。

「よく聞けない」のは何でかな?と考えたとき、原因の1つは、「忙しいから」、ではないかと思ってます。
ピアノ弾くの、忙しいもんね。
「弾く」のに忙しくて「よく聞けない」。
冗談みたいだけどほんとだし、本末転倒だなーと思うけど、でもそうだからといって恥じることではない。
忙しいと聞けないんです。
熱中してなにかやっている時に呼ばれても聞こえなかったりするでしょ。あれと同じ。

弾きながら「よく聞ける」ようにするには、
忙しくなく弾けるようにするか、
弾けるようになることで余裕を持つか、
弾けなくても余裕を持つようにするか。
弾けるようになっても「忙しい忙しい!」って弾き方になっちゃう、という場合は脱力することを考えたらいいと思う。

で、前置きが長くなったんだけど(ここまでが前置き!でもこの先はもうちょっとで終わりです)、今日書きたかったのは、「聞けない」のの隠れた原因でこんなのあるんじゃないかな、と思うことです。それはなにかというと、

「下手なのを受け入れられなくて聞けない(=聞かない)。」

どうでしょう。潜在的にこういうのあるんじゃないかな、と思うんですが。

ちょっと弾いて、
「あ~ダメ!こんなんじゃない!もう1回!」
ってはじめから何回も弾きなおし、とか。
歌いながらだと弾けるけど、黙ったら弾けない、とか(歌いながら弾くこと自体は良い事もたくさんあると思いますが)。
録音を聞いてみたら、あまりに自分で聞いていたのと違ってショックをうける、とか。

こんなふうになるのは、美意識が高かったり、向上心があるってことだと思う。
どんな音が鳴ってても動じないのがいいわけじゃない。
そもそも練習って何をやったっていい。
失敗したっていいわけだしね。
だからこんな練習したらだめって言いたいわけじゃないんですけど、でもこういうのって、もしかしてちょっと「聞くのを拒否してる」みたいじゃないでしょうか。

ロシアのシステマという武術の創始者リャブコさんは、体が緊張するのはたいてい恐怖から来てる、ってことを言ってらしたと思うんですが、「下手なの聞くのが怖い」って体かたくしちゃってる、ってあるかもしれない。
それで聞こえにくくなってしまう。
ちょっとおおげさかもしれませんが。

さっきも書いたけれど、練習って何をやったっていい、失敗したっていい、っていうことからいうと、つまり下手だっていい、ってことでしょう?
下手に弾いてもいいんですよ。
失敗する権利、下手に弾く権利(って変だけど)はあるわけです。
ってことは下手に弾いたやつを自分でよく聞いてあげてもいいってことでしょう?
なんだかそう考えると、一生懸命弾いているのに聞いてもらえないってかわいそうな感じしてきませんか?

そういえば今思い出したんですが、以前「間違ってください!」で書いた、「間違おうとして弾くと、反対にうまくいってしまう」というの、不思議だな~と思っていました。
今思うと、「間違いを弾いていい」と許可が出てハードルが下がることで、余裕が出て、それで落ち着いて聞ける→落ち着いて弾ける→結果的にうまく弾けちゃう、ってことかな、と。

下手でもいいよ、大丈夫だよ、と聞いてあげる。
そういうココロモチってけっこう大切ではないでしょうか。





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genre : 音楽

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