きゅうりとアレクサンダーテクニーク

アレクサンダーテクニークのレッスンで「アクティビティ」と言って、自分のやりたいことや、日常生活での行動なんかを取り上げることがあります。
楽器を演奏するとかね。

ダンスや歌をうたう、とかヨガのポーズをする人もいます。
パソコン作業の時に楽になりたい、とか、大根おろしを上手におろす、とか何でも。
人前でスピーチ、とか苦手な人としゃべる、なんてのもあります。

個人レッスンだと自分のリクエストのみですが、グループレッスンでグループのメンバーのリクエストを皆でやったり、先生が何かアクティビティを用意している、なんてこともありまして。

そういう中で、ある時
「包丁で何かを切る」というのがありました。野菜だったかな。いや、パンだったかな。

「包丁でパンを切る?よし、わかった、切るぞ!」
っていう時にパンだけにフォーカスするのをちょっとやめて、体全体を思い出して、まわりの空間にも気づきつつetc.…
先生が体に手をそえてくれて
「どのくらいの力がちょうどいいですか?」なんてサゼスチョンがありつつパンを切る。

なんかね、正直ギクシャクするし、まどろっこしいし
「パンくらいそんなややこしいことせんでも切れるわ!なんなら包丁なんて使わなくてもかみ切っちゃる!」って思ってしまいました。

で、まわりの仲間からは
「包丁の音が変わった!」「姿勢が優雅」なんてコメントが飛んでくる。

いやいや、パンくらいほんとにフツーに切れますから。
どっちかいうともっと役に立つことしたい。ピアノ弾くとか。イライラせずに楽に掃除機かけるやり方とかさ。
と思っていました。
言わなかったけどね。

ところがその後だいぶん経ってから(2年くらい?)きゅうりを切ってる時にフト、
「はて、私はなんでこんなにしゃかりきに力づくできゅうりを切ってるんだろう?」
と思うことがあったのです。

で、ちょっと体に意識を向けてみた。そうしたらけっこう力、はいってるんです。
あらら。この力抜いても切れるかな?
切れます。

そして包丁の音が変わる。ああら(笑)。

「きゅうり切るにはどのくらいの力がちょうどいいのかしら」
なんて考えてみたりして。

あの時のアレクサンダーテクニークの先生、ごめんなさい、いや、ありがとう、かな。
2年ごしでやっと自分で気づけました。


よく芸事で日々の生活がすべて芸に通じるから、そこんところから日々精進、なんて言われるけど、
日々、日常でずーっと芸事の精神持っとけってもね、嫌です、そんな窮屈なの、と思っていました。

ああ、でもきゅうりを気持ちよく楽に切ることはきゅうくつじゃない。

はー、もしかしてそういうこと?

そういうことってどうゆうことよ?って言われたらはっきり説明できないけどね。
きゅうりを切る時に心ここに在らずで気づかないうちにぎゅっとなってるのがデフォルト、通常運転ってのよりいいなあ、と。

芸の精神を日常にもってもしかして楽で楽しいことなのかもしれないな、と長く毛ぎらいしていた考え方がちょっと変化した瞬間でした。


ただ不思議なのは、思い出すのはいつもきゅうりだってこと。他のものを切る時は思い出しもしない(笑)。
少しは進歩したいからきゅうりの次はゴーヤかな?

次回ゴーヤを切る時に思い出せますように!






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tag : アレクサンダーテクニーク 日常 精進

恐竜のしっぽ

アレクサンダーテクニークのグループレッスンに参加した時、「恐竜のしっぽがあると思って歩く」というのをやりました。

犬ってしょんぼりしている時はシッポが下がって、怖がってたりするとお尻まで下がっちゃてシッポは足の間に入ってしまったりするし、逆に元気でご機嫌な時はシッポが立っている。
人間はシッポは退化して尾骨しか残ってないけれど、やっぱりそういう変化があるんじゃないか。
シッポがあるとしたら、どんな感じ?っていろいろやってみた。

で、背骨の最後のところに恐竜のような立派なしっぽがついているとしたら、そんなつもりで歩いたらどうなるだろう、と。

そしたら面白いことにいつも歩いてるのとちょっと違う感じになる。
自分の前だけじゃなく後ろの空間にも意識がいくような。自分を中心として円を描くように空気を感じられる。
自分のまわりの空気をまとって動いているような気がする。しっぽのせいで体のバランスが変わったのか、目線がいつもより少し高くなって爽やか。

先生に「どうですか?」と聞かれたから、
「ゆったり歩けて気持ちがいいけど、人混みだとこれでは歩けないような気がします。」
と言ったら、
「試してみましょう!」
と。

狭い空間を区切って参加者みんなで、その範囲をせかせか歩いてみる。
そしたらなんと、すっすっと人をよけてスムーズに歩けるんですよ。
まわりの空間に対する感受性が高まるのかな。
自分のまわりの空気が触覚のような機能を持ち始めたかのような。

人混みを歩く時、よく使ってます。恐竜のしっぽ。
ピアノを弾く時にも使うといいんじゃないかな、と思って実験中。






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tag : 恐竜のしっぽ アレクサンダーテクニーク 人混み

アレクサンダーテクニークの面白いところ

アレクサンダーテクニーク、9年前に出合って、それ以来断続的にワークショップに参加したり、レッスンを受けたりしています。

最近は日本でも知名度が上がってきて色々なサイトもあるので、アレクサンダーテクニークとは何か、ってところはそちらを参照していただくこととして、

アレクサンダーテクニークの面白いところは。



たとえば姿勢を変えたり、体操のようなことをしたら急に弾きやすくなった、音が響くようになった、というようなことがありますね。

そういう時って、座り方が安定したら支えが良くなって腕が楽になった、とか、体操で関節の動きが良くなったり、動きのバランスが良くなったり、などという、何らかの関連があると思うんです。そしてそれが自分で感じられたりする。



アレクサンダーテクニークでは「わけのわからないこと」が起きます。



姿勢に変化が起きたのに、「姿勢が良くなった」という気がしなかったり(むしろ不自然な姿勢になったような気がする)、あまりにあっけなく何かができて、ものたりなかったり(たとえば大男をちょっと押してみたら倒れた、やらせでしょ?とか)。

ピアノを弾くと、かえって弾きにくくなったり!
(ピアノを弾こうとしても椅子に座るところから先に進めず、弾かせてもらえなかったりすることもあって個人的にこれはちょっと・・・)。

グループレッスンでは、ビフォーアフターのアフターで、他の参加者に
「わあ、全然響きが違う!」
「表現にも深みがでた!」
などと絶賛され、じゃあビフォーは音がくすんで表現も浅かったってことかい!とフクザツな気がしたり。
でもひとのを見るとビフォーアフターでやっぱり全く違ったり。



どうしてこんなことになるかというと、アレクサンダーテクニークを使って変化が起きる時、自分の意識や予想に関係なく、
「体が先に新しい状態を経験する」
ということが起きるのじゃないかな、と思います。
なので感覚的についていけない。

アレクサンダーテクニークの手順と教師のサポートで、自分が今まで妥当だ、と思っていたやり方でない体のつかい方が起こっている。
なので、結果は望んでいるものだったとしても(音が良くなるとか、力が発揮できるとか)、なんかこう理屈に合わない感がぬぐえない。



でもこれは言い換えると、「自分で考えて工夫して出来ること」をポンッと超えたところを体験できる、ということなのです。
なので面白い。

そしてそれはアレクサンダーさん(創始者)によると、すべての人間(動物も)にもともと備わっている能力なのですって。


面白すぎてうまく書けなくてごめんなさい。

興味のある方は各地で講座、レッスンがあるのでぜひ体験してみてください。





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tag : アレクサンダーテクニーク ピアノ レッスン

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ピアノを弾いたり教えたり。思ったこと、練習のアイデア、メモなど。

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